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[鉄他] 宮崎Decade(1.羽田→宮崎→餅原) 10年前。 当時はまだ485系で運転されていた特急「きりしま」に乗り、鹿児島から宮崎へ移動中 ある1つの駅に停車しました。 その駅は、宮崎駅のように凝ったデザインのホームがあった訳でも 嘉例川駅のように文化財級の古い木造駅舎が残っている訳でもなく 昭和後期に作られた高架駅が、改築やリニューアルがされることなく まるで時代に取り残されたかのように存在するという、ただそれだけ。 しかしながら、理想的な「国鉄の高架駅」をそのまま残していた姿に惹かれ いつかは降り立ちたい、という気持ちになりました。 昭和時代に建てられた国鉄の高架駅の雰囲気は JRに移行してから27年経った今でも健在でした。 05.22.Thu 12:10 会社特有のデザインの駅名標や、LED式の発車標も取り付けられておらず 国鉄の高架駅の姿をそのまま残しており 昭和遺産、あるいは国鉄遺産といった様相です。 国鉄形気動車であるキハ40形からこのホームに降りると、 さながら国鉄末期にタイムスリップしたかのようw 2本のホームに計4枚掲げられている駅名標のうち JRになってから交換されたものは1枚もなく 全て国鉄時代からの第2種駅名標が使われ続けています。 方面別看板も国鉄のスミ丸ゴシックで書かれたものが使われていますが なぜか上り方面では、大分を差し置いて別府の文字が入っていたりします。 ちなみに、現在のダイヤでこの駅から乗り換えなしで行けるのは延岡までなので 別府と小倉へは直接行くことができません。 それ以外はほぼ国鉄時代のまま。 金属製の改札ラッチやきっぷの購入窓口、更には十字形の案内板など 国鉄の駅にあったアイテムも数多く残っています。 よく見ると500円玉についての記述がありません… この姿が残っているうちに訪れることができたのは幸いでした。 国鉄形車両や駅名標といった他の国鉄遺産、そして風前の灯となった寝台列車 或いはここ最近、色々と巡っている食品自販機などについても言えることですが いつまでも残っているという保証はないので 健在なうちに訪れるに越したことはないですしね。 無くなってからでは遅いんです。 特に黒毛和牛を使用している「盆地の牛めし」は、1日5食限定 通販や駅弁大会でも入手できず、ここに来なければ食べられない"幻の駅弁" やはりせっかくの機会ですし、食べておきたかったので、前日に予約しておきました。 どちらも噛むとしっかり肉の味がする、懐かしい感じの味がして 空腹だったこともあり、あっという間に平らげました。 ここ最近、ゲーセンの閉店が相次いでおりQMAの設置店舗も減少傾向にある中 天の学舎になってから稼働を始めたという、全国でも貴重な新規稼働店舗です。 ここで足跡付けとプラチナメダルを置いた後、駅へ戻り次の目的地へ。 ([鉄他] 宮崎Decade(3.志布志→日南線)に続く)
by alnakoki
| 2014-05-28 23:19
| どこかへ
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by alnakoki (a.k.a. 有那)
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